こんにちは、『ローカログ』周南エリア担当・ライターのさとねです。今回は周南市鹿野地区にあった山口県立徳山高等学校鹿野分校についてご紹介します。みなさんは「鹿野分校」という名前を聞いたことがありますか?
この学校は、豊かな自然に囲まれた環境の中で、75年という長い歴史を刻んできた公立高校です。少人数ならではの温かみのある教育が特徴で、地域の方々にも深く愛されてきました。今回はそんな鹿野分校の魅力や歴史について、じっくりとお伝えしていきますね。
山口県立徳山高等学校鹿野分校の基本情報
山口県立徳山高等学校鹿野分校は、周南市鹿野下木引原に位置していた公立高等学校です。全日制課程の普通科を設置し、3学期制で運営されていました。
鹿野分校の最大の魅力は、少人数教育を活かした「一人ひとりに寄り添う指導」にありました。生徒数が限られていたからこそ、先生方は一人ひとりの個性や学習進度をしっかり把握し、きめ細やかなサポートを行うことができたのです。
学校の所在地である鹿野地区は、周南市の中でも特に自然豊かなエリア。四季折々の美しい風景に囲まれながら、のびのびと学校生活を送れる環境が整っていました。都会の喧騒から離れ、落ち着いた雰囲気の中で学びたいという生徒たちにとって、ぴったりの場所だったといえるでしょう。
鹿野分校の歴史をたどる
鹿野分校のルーツは、1948年(昭和23年)4月にさかのぼります。当時は山口県立都濃高等学校の鹿野校舎として開校し、定時制普通科が設置されました。その翌年の1949年には全日制普通科も加わり、地域の若者たちの学びの場として成長していきます。
1953年には定時制課程が廃止され、全日制課程のみとなりました。その後、1976年には「山口県立鹿野高等学校」として独立。この頃が学校の全盛期で、なんと約400人もの生徒が在籍していたそうです。活気あふれる学校生活が繰り広げられていたのでしょうね。
しかし、少子化の波は鹿野地区にも押し寄せ、生徒数は徐々に減少していきました。2008年には徳山高等学校の分校となり、「徳山高等学校鹿野分校」として新たなスタートを切ります。
2021年度からは生徒募集が停止され、2023年3月をもって75年の歴史に幕を下ろしました。閉校式では、多くの卒業生や地域の方々が集まり、感謝と惜別の気持ちを分かち合ったそうです。
少人数教育だからこそ実現できた温かな学び
鹿野分校が大切にしてきたのは、生徒一人ひとりの顔が見える教育です。大規模校では難しい「個に応じた指導」を、少人数という環境を最大限に活かして実現していました。
例えば、授業では生徒の理解度に合わせた丁寧な解説が行われ、わからないことがあればその場ですぐに質問できる雰囲気がありました。先生と生徒の距離がとても近く、和気あいあいとした空気の中で学習に取り組めたのです。
また、部活動や学校行事でも、少人数ならではの一体感がありました。全員が主役になれる環境で、生徒たちは自分の役割をしっかりと果たしながら成長していったのでしょう。人数が少ないからこそ、一人ひとりの存在感が光る──そんな学校だったのですね✨
鹿野分校を巣立った卒業生たち
75年の歴史の中で、鹿野分校からは多くの卒業生が巣立っていきました。政治の世界で活躍する方、芸能界で活動する方など、さまざまな分野で活躍している方々がいらっしゃいます。
卒業生の中には地元・周南市の発展に貢献している方も多く、地域を支える人材を育ててきた学校としての役割を果たしてきました。「母校の思い出は卒業生一人一人の心の中に永遠に灯されていく」という言葉が印象的です。
閉校が決まった際には、卒業生からも惜しむ声が多く聞かれました。それだけ、この学校が多くの人にとって大切な場所だったということでしょう。学校という「場」はなくなっても、そこで過ごした日々の記憶や、培われた絆は、きっとこれからも受け継がれていくのだと思います。
周南市鹿野地区の魅力
鹿野分校があった周南市鹿野地区は、山口県の中でも特に自然が美しいエリアとして知られています。清らかな水と緑に恵まれたこの土地は、四季を通じてさまざまな表情を見せてくれます。
春には桜が咲き誇り、夏は涼やかな風が吹き抜け、秋には紅葉が山々を彩ります。冬には静かな雪景色が広がることも。そんな豊かな自然環境の中で、生徒たちは心穏やかに学校生活を送ることができたのですね。
鹿野地区は温泉地としても有名で、地域の方々のあたたかいおもてなしの心が根付いています。学校と地域が一体となって子どもたちを見守り、育てていく──そんな素敵な環境があったからこそ、鹿野分校は長年にわたって愛され続けてきたのでしょう♪
分校教育の意義と可能性
山口県には、鹿野分校のような分校がいくつか存在していました。これらの分校は、山間部や過疎地域において、地元の若者が通える高校として大切な役割を担ってきたのです。
分校の良さは、なんといっても「顔の見える関係」にあります。生徒同士はもちろん、先生方や地域の方々とも密接なつながりを持つことができ、人としての成長をしっかりと見守ってもらえる環境が整っていました。
大規模校にはない温かさや、一人ひとりを大切にする教育姿勢は、分校ならではの魅力です。時代の流れの中で閉校を余儀なくされる学校もありますが、その教育理念や精神は、きっとどこかで受け継がれていくことでしょう。
鹿野分校の偏差値と入試について
山口県立徳山高等学校鹿野分校の偏差値は、およそ38〜45程度とされていました。県内の公立高校の中では比較的入りやすい学校で、学力に不安がある生徒でもチャレンジしやすい環境だったといえます。
入試倍率は1倍を下回ることが多く、志願者のほとんどが合格できる状況でした。これは見方を変えれば、「入りたい」という気持ちさえあれば、高校生活をスタートできるチャンスがあったということ。学びたいという意欲を大切にする学校だったのですね。
少人数だからこそ、入学後は手厚いサポートを受けることができ、苦手科目の克服や基礎学力の定着にじっくり取り組める環境がありました。「入口」よりも「入学後にどう成長するか」を重視した教育が行われていたのです。
徳山高校本校との連携
分校として徳山高等学校と連携していた鹿野分校では、本校の充実した教育リソースを活用する機会もありました。徳山高校は山口県内でもトップクラスの進学校として知られ、東京大学や京都大学、九州大学など難関国公立大学への合格実績を誇ります。
分校の生徒たちも、本校との交流を通じて刺激を受けたり、進路について視野を広げたりする機会があったようです。地域に根ざしながらも、より広い世界とつながる窓口が開かれていたのですね。
また、分校で培った「自分で考え、行動する力」は、どんな進路を選んでも役立つ財産となったはずです。少人数教育の中で育まれた主体性や協調性は、社会に出てからも大きな強みになることでしょう。
閉校後も残る鹿野分校の記憶
2023年3月の閉校に際しては、記念展示会が開催され、卒業生の思い出の写真や学校の歴史を振り返る資料が公開されました。校舎内の見学も行われ、多くの方々が懐かしい母校を訪れたそうです。
閉校は寂しいことですが、75年間にわたって地域の教育を支えてきた功績は、決して色あせることはありません。鹿野分校で学んだ経験は、卒業生一人ひとりの心の中に大切に刻まれています。
「寂しさを乗り越えて、地域の活気をどう盛り上げるか」──卒業生の方がおっしゃっていたこの言葉には、前を向いて歩んでいこうという力強い意志が感じられます。学校はなくなっても、そこで育まれた絆や想いは、きっとこれからも受け継がれていくのでしょう😊
地域の学校が果たしてきた役割
鹿野分校のような地域の学校は、単に勉強を教える場所ではありませんでした。地域コミュニティの核として、人と人をつなぎ、世代を超えた交流を生み出す場でもあったのです。
学校行事には地域の方々が参加し、生徒たちは地元の文化や伝統に触れる機会を得ることができました。こうした経験は、ふるさとへの愛着や誇りを育み、将来的に地域を支える人材の育成につながっていったのです。
少子高齢化が進む中、地域の学校を維持することは年々難しくなっています。しかし、鹿野分校が残してくれた「地域と共に歩む教育」の精神は、形を変えながらもこれからの教育に活かされていくことでしょう。
山口県立徳山高等学校鹿野分校を振り返って
今回は、山口県立徳山高等学校鹿野分校についてご紹介してきました。豊かな自然に囲まれた環境で、少人数教育の良さを活かした温かい学び舎だったことが伝わったでしょうか。
75年という長い歴史の中で、多くの若者がこの学校で学び、成長し、社会へと羽ばたいていきました。閉校という形で一つの時代は終わりましたが、鹿野分校の精神は卒業生たちの中に、そして地域の中に、確かに生き続けています。
みなさんの中にも、母校への特別な想いを持っている方がいらっしゃるのではないでしょうか。学校で過ごした日々は、かけがえのない宝物ですよね。鹿野分校のことを知ることで、改めて学校という場所の大切さを感じていただけたら嬉しいです。
「人生で大切なのは、どこにいたかではなく、そこで何をしたかである。」
── ジョージ・エリオット(イギリスの作家)
今日の名言は、19世紀イギリスを代表する作家の言葉をお届けしました。どんな場所で過ごしたとしても、そこでの経験や出会いが私たちを形作っていくもの。鹿野分校で学んだみなさんも、きっとそこでのかけがえのない日々が今の自分を支えてくれているはずです。これからも、自分の歩んできた道を大切にしながら、前を向いて進んでいきましょうね。『ローカログ』周南エリア担当・さとねがお届けしました。


















