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世田谷区の鉄道歴史を辿る!玉電から現代まで

こんにちは!『ローカログ』世田谷エリア担当ライターのすーちゃんです。今日は皆さんと一緒に、ボクたちが住む世田谷区の鉄道歴史について深掘りしていきたいと思います♪

世田谷区の鉄道と歴史を語る上で欠かせないのが、明治時代に開通した玉川電気鉄道、通称「玉電」の存在です。この玉電こそが、農村地帯だった世田谷を現在のような住宅地へと変貌させた立役者なんですよ!

目次

世田谷区初の鉄道開通〜玉電の誕生

世田谷区に初めて鉄道が通ったのは、今から118年前の明治40年(1907年)のことでした。玉川電気鉄道によって大山街道(現在の国道246号線)上に電車が走り始めたんです。

最初に開通したのは道玄坂上から三軒茶屋間のみでしたが、同年4月1日には三軒茶屋から玉川(現在の二子玉川)間が開通し、8月には道玄坂上から渋谷まで延伸されて全線が完成しました。

玉電は多摩川の砂利輸送を主要目的の一つとしていたため、「ジャリ電」という愛称でも親しまれていました。1,067mmの軌道幅は国鉄との貨物連絡運輸を想定して採用されましたが、実際には中渋谷の貨物停留場で砂利を積み替えて各地に運んでいたんです。

玉電が世田谷の発展に与えた影響

それまで鉄道が走っていなかった世田谷は、玉電の開通によってようやく文明開化を迎えました。玉電によって電気が引かれ、沿線の発展に大きく貢献したんです。

玉川は行楽地としても注目され、1909年には玉川遊園地(後の二子玉川園)が玉電の手によって開設されました。旅客誘致も積極的に行われ、世田谷地域の観光開発にも力を入れていたんですね♪

1920年には都心でのコンクリート需要増加に伴い、輸送力増強と市電を介した都心への乗り入れが必要となりました。そこで複線化が進められ、軌道幅も1,067mmから東京市電と同じ1,372mmに改軌され、車両は全て入れ替えられました。

世田谷線の誕生〜下高井戸線の開通

現在の東急世田谷線につながる路線は、大正14年(1925年)1月18日に三軒茶屋駅から世田谷駅間が玉川電気鉄道の支線「下高井戸線」として開業したのが始まりです。

この路線建設には地元の大場家の大場信続氏が中心となって玉川電気鉄道と交渉を重ね、鉄道敷地の無償提供など私財も投じて実現させました。同年5月1日には残りの世田谷駅から下高井戸駅間が開業し、全線が開通したんです。

開通当時の運賃は三軒茶屋から下高井戸間の全線を乗り通すと10銭で、別途通行税1銭が必要でした。当時の物価としては決して安くない料金だったようですね。

関東大震災後の急激な発展

世田谷線の開通は、関東大震災直後のタイミングと重なりました。住宅地が都心から郊外に移転していく時期で、世田谷線沿線も急激な人口増加を経験したんです。

山下から下高井戸間が通る荏原郡松澤村では、開通前年の1924年に4,474人だった人口が、翌1925年に7,237人、開通5年後の1930年には12,337人と驚異的な増加を見せました。

世田谷線の開通が、のどかな農村を一気に東京のベッドタウンへと押し上げたことがよく分かりますよね!

他の鉄道路線の開通と世田谷の発展

玉電に続いて、1913年(大正2年)には京王電気軌道(現在の京王線)の笹塚・調布間も開業しました。1927年(昭和2年)には小田原急行鉄道(現在の小田急小田原線)も開業し、世田谷地域では土地区画整理も行われるなど、沿線は住宅地として本格的に発展していきました。

これらの私鉄の開通により交通利便性が大幅に向上し、特に関東大震災後には移住してくる人々が急増したんです。世田谷は江戸時代以降、大都市江戸・東京近郊の農業地域として発達してきましたが、明治末期以降の私鉄開通をきっかけに郊外の住宅地としても発展していったんですね。

玉電から東急への変遷

1938年(昭和13年)3月10日、玉川電気鉄道は東京横浜電鉄(現在の東急の前身)に合併され、玉川線となりました。そのため現在でも玉川電気鉄道の略称、玉川線の愛称であった「玉電」と呼ばれることがあるんです。

1969年(昭和44年)5月11日に玉川線の渋谷駅から二子玉川園駅間が廃止され、残った下高井戸線が世田谷線に改称されました。区間の大半が新設軌道であり、また並行道路の整備がうまくいかなかったことが廃線を免れた理由と言われています。

現在の世田谷線〜招き猫電車の魅力

現在の東急世田谷線は、東急電鉄唯一の軌道線として運行されています。車両は低床式の更新車両300系で、連接の2両編成で運行しているんです。

2017年9月の玉電開通110周年記念イベント時に運行された「幸福の招き猫電車」は大好評で、2019年5月に復活して現在も運行されています。沿線名所の一つで招き猫発祥の地と言われている豪徳寺の協力のもと、招き猫をデザインした車体ラッピングや招き猫型の吊り手、床面のねこの足跡など、見ても乗っても楽しい遊び心にあふれた電車として親しまれているんですよ♪

世田谷区の鉄道が築いた街づくり

世田谷区の鉄道歴史を振り返ると、玉電の開通が単なる交通手段の提供にとどまらず、電力供給事業や住宅地の分譲、遊園地の開設など、総合的な街づくりに取り組んでいたことが分かります。

現在の世田谷区が東京都内でも人気の住宅地として発展しているのは、明治時代から続くこうした鉄道会社による計画的な開発の成果と言えるでしょう。東急田園都市線、東急世田谷線、小田急線、京王線などの鉄道路線があることで、新宿や池袋へのアクセス環境が良好で、住環境の良さから現在も移住者が多い地域となっています。

世田谷区の鉄道と歴史は、単なる交通の発展史ではなく、農村から住宅地への変貌を支えた街づくりの物語なんです。皆さんも普段利用している電車に乗る時は、ぜひこの歴史を思い出してみてくださいね!

今日も最後まで読んでいただき、ありがとうございました。本日の名言で締めくくらせていただきます。

「歴史は繰り返すが、同じことは二度と起こらない」- マーク・トウェイン

皆さんの毎日が素敵な発見に満ちたものでありますように♪ 思い立ったが吉日、今度の休日は世田谷線に乗って歴史散歩を楽しんでみませんか?

投稿時のリサーチ結果に基づいて記事を作成していますが、最新情報は公式サイトも必ずご確認ください

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