こんにちは!『ローカログ』世田谷エリア担当ライターのすーちゃんです。皆さんは普段何気なく使っている世田谷区の地名について、その由来を考えたことはありますか?実は、ボクたちが住むこの世田谷区には、古い歴史と深い意味を持つ地名がたくさんあるんです。
今回は世田谷区の地名由来について、詳しく調べてみました。きっと皆さんも「へぇ〜、そうだったんだ!」と驚くような発見があると思いますよ♪
世田谷区という名前の成り立ち
まずは世田谷区そのものの名前の由来から見ていきましょう。実は「世田谷」という地名には、とても興味深い歴史があるんです。
かつてこの地域は「勢田郷」と呼ばれていました。平安時代中期に作られた辞書「和名類聚抄」には、勢田郷の谷地という意味で記載されているんです。つまり、低い谷間に位置する場所として認識されていたということですね。
「世田」は「瀬田」に通じ、「瀬戸」の「戸」が訛ったものではないかと考えられています。「瀬戸」というのは狭小な海峡を意味する言葉でしたが、地名の場合には必ずしも海に関係するわけではなく、内陸部にも多く見られるんです。
時の経過とともに「瀬田」の言葉がわからないまま、勢田郷の一部で特に谷の多い所という区別をして「せたかい」と呼ぶようになり、以後「狭(かい)」が同義語の「谷」に変わって、発音も「せたがや」と変化したと考えられています。
世田谷区の誕生と地域の変遷
現在の世田谷区が誕生したのは昭和7年(1932年)のことです。世田ヶ谷町・駒沢町・玉川村・松沢村の2町2村が合併して「世田谷区」が成立しました。さらに昭和11年(1936年)には北多摩郡であった千歳村・砧村の2村が世田谷区に編入され、現在の大きさになったんです。
江戸時代末期には、世田谷地域は42の村々に分かれていました。その支配は天領・旗本領・大名領・寺社領の4つに組み込まれていたという複雑な構造だったんですよ。
各地域の興味深い地名由来
瀬田地域の歴史
瀬田という地名は、多摩川沿岸から台地中の谷の多い相当広い区域を含めて古くは「セト」と呼んでいたものが、いつしかなまって「セタ」となったようです。明治22年には奥沢・尾山・等々力・下野毛・上野毛・野良田・用賀・瀬田の8村が合併して玉川村が成立し、瀬田村は大字瀬田となりました。
代田の「だいたらぼっち」伝説
代田という地名には、とてもユニークな由来があります。「だいたらぼっち」の伝説によるという説が有力なんです。昔、代田の西の守山近辺の窪地のことを村人は「だいたらぼっち」と呼んでいました。
この地に雨水や湧水を集めてできた沼地があり、その形が人の足跡に似ていたことから、大男「だいたらぼっち」の足跡と呼ぶようになったんです。この「だいたらぼっち」が変化して「だいた」になったというわけですね。
羽根木の鳥にまつわる由来
羽根木という地名は享保10年(1725年)の記録にも残されるほど古い地名です。古老の言い伝えでは、昔から樹木が多く茂っていて、いろいろな鳥が飛んできて止まるので、鳥の羽根と合わせて羽根木になったということです。
三軒茶屋の茶屋の物語
三軒茶屋は、その名前の通り3軒の茶屋があったことが由来です。江戸中期以降、江戸では神奈川にある大山参りが盛んになりました。大山道に沿って信楽、角屋、田中屋という3軒のお茶屋ができ、旅人の道中の憩いの場として繁盛したんです。
この場所が旅人の道中の目標となり、いつしか三軒茶屋と呼ばれるようになったというわけです。まさに歴史ロマンを感じる地名ですよね!
弦巻の複数の説
弦巻という地名には、いくつかの興味深い説があります。第一の説として、弦巻は昔、牧場だったという説です。「つる」は古代朝鮮語の「昿野」に通じる野原のことで、「まき」は「馬城」で牧場を表すといわれています。
第二の説は、武士たちが降伏したところだったとする説です。この地で武士が戦に破れ降伏し、弓の弦を巻いて降伏の意を表したので弦巻と言われるようになったという説もあるんです。
難読地名の読み方と由来
砧(きぬた)の渡来人文化
「砧」は「きぬた」と読みます。この地名には古い歴史があり、昔、多摩川の近辺に住んでいた渡来人たちが、布を柔らかくするために使っていた道具「砧」が地名の由来になっています。現在の砧エリアにはTBS砧スタジオや東宝撮影所があることでも有名ですね。
等々力(とどろき)の轟く音
等々力は「とどろき」と読みます。東京23区内で唯一の渓谷がある場所として有名で、滝の音が轟くことから「とどろき」という名前がついたという説もあります。都会の真ん中にいながら自然を感じられる貴重なスポットです。
九品仏(くほんぶつ)の仏教用語
「九品仏」は「くほんぶつ」と読みます。この地名は九品仏浄真寺というお寺に由来しています。「九品」というのは仏教の浄土における九つの位を指していて、とても神聖な意味を持つ言葉なんです。
地名に込められた地形と歴史
世田谷区の地名を調べてみると、多くが地形や歴史的な出来事と深く関わっていることがわかります。谷や沢、坂といった地形を表す言葉が多く使われているのも特徴的ですね。
例えば、駒沢は馬引沢村・下馬沢村・野沢村・深沢村などが合併してできた地名で、馬引沢の「馬」を「駒」にし、それに野沢と深沢の「沢」をつけて駒沢という地名ができました。まさに合併した地名の特徴を表している例ですね。
また、宮坂という地名は世田谷八幡宮の東側の坂道を人々がそう呼んだことから名付けられたもので、「宮の坂」という意味なんです。源義家が後三年の役に勝利してその記念にこの世田谷八幡宮を勧請したことに始まる歴史ある場所でもあります。
現代に生きる古い地名の価値
これらの難読地名は一見不便に思えるかもしれませんが、実は地域のアイデンティティを保つ大切な役割を果たしています。正しい読み方を知っていると、地元の人との会話もスムーズになりますし、その地域への理解も深まります。
世田谷区は歴史ある地域が多いので、地名ひとつひとつに込められた物語を知ることで、街歩きがもっと楽しくなるんです。皆さんも今度世田谷区内を歩くときは、地名の由来を思い出しながら歩いてみてくださいね。
地名には先人たちの生活や文化、そして自然環境との関わりが刻まれています。現代を生きるボクたちにとって、これらの地名は過去と現在をつなぐ貴重な文化遺産といえるでしょう。
まとめ
世田谷区の地名由来を調べてみると、本当に興味深い歴史や文化が隠されていることがわかりました。古代の渡来人文化から江戸時代の街道文化まで、様々な時代の痕跡が地名として残っているんです。
皆さんも自分の住んでいる地域の地名について調べてみると、新たな発見があるかもしれませんよ。思い立ったが吉日、ぜひ地名探検を楽しんでみてくださいね♪
「歴史は現在と過去との間の尽きることを知らぬ対話である」- E.H.カー
皆さんの住む街の地名も、過去と現在をつなぐ大切な対話の一部なんですね。今日も素敵な一日をお過ごしください!


















