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目黒区の用水路の歴史を知っていますか?

こんにちは!『ローカログ』目黒エリア担当のライター、あきこです♪ 最近、娘と散歩をしていて「なんで目黒区の道路って変なカーブが多いのかな?」なんて話していたんです。そこで調べてみると、実は目黒区には昔、素晴らしい用水路が流れていたことを発見しました!

みなさんは目黒区に用水路が流れていたことをご存知でしたか?実はわたしたちが普段歩いている道の下に、300年近くも地域を支え続けた水の歴史が眠っているんです。今日はそんな目黒区の用水路について、一緒に探検してみませんか?

目次

三田用水って何だったの?

目黒区を語る上で絶対に外せないのが「三田用水」という用水路です。この用水路は1724年から1974年まで、なんと250年間も目黒区を潤し続けていました。最初は農業用水として誕生したこの水路、実は江戸時代の人々の知恵と努力の結晶なんです!

もともとは1664年に「三田上水」として作られたのですが、一度廃止されちゃったんです。でも地元の農民たちが「困ります!」と必死にお願いして、農業用の「三田用水」として復活させてもらったという、ちょっと感動的なエピソードがあるんですよ。

用水路のルートはどこを通っていたの?

三田用水のルートを地図で見ると、本当にビックリしちゃいます。世田谷区の下北沢あたりで玉川上水から分水して、代々木、中渋谷、上目黒、中目黒、下目黒、三田、白金を通って、最終的に目黒川に注いでいたんだとか。

現在の山手通りや駒沢通り沿いを流れていたということで、わたしたちが普段使っている道路の多くが、実は昔の用水路跡だったりするんです!道理で変なカーブが多いはずですよね。水の流れに合わせて道ができたから、あんなにくねくね曲がっているんですね♪

農業から工業へ!用水路の大変身

明治時代に入ると、三田用水にも大きな変化が訪れます。なんと農業用水から工業用水へと、その役割をガラリと変えてしまったんです

火薬製造所で活躍した用水路

1885年に目黒火薬製造所が操業を開始すると、三田用水はその水力として大活躍しました。この火薬製造所で作られた火薬は、日清戦争や日露戦争でも使われたというから、歴史の重要な一部分を担っていたんですね。

でも周囲に住宅が増えてくると、さすがに火薬製造所は危険ということで、1928年に他の場所へ移転してしまいました。跡地は後に海軍省技術研究所になったり、駐留軍のキャンプになったりと、時代とともに変遷を重ねています。

サッポロビールも三田用水のおかげ!?

これが一番驚いたんですが、あの有名なサッポロビールの前身である日本麦酒醸造会社も、三田用水を目当てに目黒にやってきたんです!ビール1本作るのに約20本分の水が必要ということで、豊富な工業用水が確保できる立地条件に着目したんだそう。

明治40年頃には1日に120石(約21,600リットル)ものビールを製造していたというから、その規模たるや!夜の10時まで操業していたそうで、当時の目黒村の経済に大きな影響を与えていました。

水をめぐる人々のドラマ

三田用水の歴史を調べていると、水をめぐる人々のドラマが見えてきます。江戸時代には渇水期になると幕府が用水の取水を厳しく制限したため、14の村で「番水約定」という取り決めを作って、村ごとに交代で水を使っていたんだとか。

また、農民と工場の間で水の取り合いが起こることもしばしば。みんな生きていくために必死だったんですね。そんな中でも協力し合って、みんなで用水路を維持していく姿には、現代のわたしたちも学ぶべきものがあるような気がします。

大名屋敷の庭園にも流れ込んでいた

三田用水は農業や工業だけでなく、大名屋敷の庭園用水としても使われていました。島原藩主の松平主殿頭の下屋敷には3段に折れて落ちる美しい滝があったり、西郷隆盛の弟・従道の別邸にも庭園池に水が流れ込んでいたそうです。

当時の人たちにとって、用水路は単なる生活用水ではなく、美しい風景を作り出す大切な要素でもあったんですね。

用水路の終焉と現在の痕跡

関東大震災や東横線の開通により、目黒区も急速に都市化が進みました。農地がどんどん宅地化されて、三田用水を利用する農民もいなくなってしまいます。本来の農業用水という目的を失った三田用水は、1974年9月についに取水門が閉鎖され、その長い歴史に幕を下ろしました。

今でも見つけられる用水路の痕跡

現在でも三田用水の痕跡を見つけることができる場所がいくつかあります。世田谷区北沢5丁目付近には取水口だった水門の近くに石碑と弁天堂が建っているし、東京大学教養学部わきの山手通り沿いには用水路跡の一部も残っています。

目黒区内を歩いてみると、道路の不自然なカーブや微妙な高低差に、かつての用水路の存在を感じることができますよ!特に駒沢通りや山手通り沿いを歩いていると「あ、ここを水が流れていたのかな?」なんて想像が膨らんじゃいます♪

用水路が教えてくれること

目黒区の用水路の歴史を調べていて感じたのは、昔の人たちの水に対する深い感謝の気持ちと、みんなで協力して大切なものを守り抜く強さです。現代のわたしたちも、こうした先人の知恵や努力を忘れずに、地域の歴史を大切にしていきたいですね。

次回のお散歩では、ぜひ足元の道路に注目してみてください。そこには300年間、地域の人々を支え続けた水の記憶が、きっと眠っているはずです。毎日が発見って、本当にそうだなあと改めて思います!

「水は方円の器に従う」-老子

どんな困難な状況でも、柔軟に形を変えながら前に進んでいけば、きっと道は開けるものです。今日もみなさんにとって素敵な発見がありますように!

投稿時のリサーチ結果に基づいて記事を作成していますが、最新情報は公式サイトも必ずご確認ください

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