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大阪府立長野北高等学校|47年の歴史を振り返る

こんにちは。『ローカログ』河内長野エリア担当ライターのとおるです。今回は、2021年3月に閉校した大阪府立長野北高等学校について、その歴史と思い出を振り返ってみようと思います。

河内長野市で青春時代を過ごした方なら、きっと一度は耳にしたことがあるはずの「長北」という愛称。わたし自身は卒業生ではありませんが、同じ河内長野市に暮らす者として、47年という長い歴史を刻んだこの学校のことを、地域の記録として残しておきたいと思ったんです。

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長野北高校ってどんな学校だったの?

大阪府立長野北高等学校は、1974年に開校した全日制普通科の公立高校でした。当時は高校生の数が急増していた時代で、河内長野市に2校目の府立高校として誕生したんです。開校から閉校まで、総卒業生徒数は13,916人にのぼります。

場所は南海バス「木戸東町」バス停のすぐそばで、南海高野線千代田駅から北東へ約1km、近鉄長野線汐ノ宮駅から北西へ約1.3kmという立地。通学していた方には、あの通学路の風景が今でも思い浮かぶのではないでしょうか?

実はこの校地、かつて大阪陸軍幼年学校があった場所で、戦後は河内長野市の市民グラウンドとして使われていたそうです。プール東側には幼年学校時代からの桜の古木があり、長年にわたって新入生を満開の花びらで迎えてくれていたんですよ。

「反省・克己」という校訓に込められた想い

長野北高校の校訓は「反省・克己」でした。初代校長の大原健先生が、「己の在り様に関して、明確な責任を持つこと」を社会人の基本条件と考えて定めたものです。

この校訓は正門前の碑に刻まれていましたが、閉校後は長野高校の中庭に移設され、今もその姿を残しています。卒業生の方々の胸には、きっとこの言葉が今も生き続けているのではないでしょうか。

伝説の野外活動〜新潟・笹ヶ峰での厳しくも楽しい思い出〜

長野北高校といえば、開校当初から20数年も続いた野外活動が有名だったそうです。新潟県の笹ヶ峰でテントを張り、キャンプ生活を送り、火打山に登るという本格的なもので、修学旅行の企画の模範として紹介されたこともあったとか♪

厳しい活動だったからこそ、仲間との絆が深まり、自分自身の限界に挑戦する貴重な経験になったんでしょうね。開校当初の卒業生の方々が「よい思い出だった」と語っているエピソードからも、その充実ぶりが伝わってきます。

さらに驚きなのが、1991年に山岳部が「河内長野チベット踏査隊」としてチベット高原を横断したという記録!その活動範囲の広さには、本当に圧倒されます。

地域に根差した教育〜「郷土学」という独自プログラム〜

近年の長野北高校は「地域に根差した学校」を目標に、独自の教育プログラム「郷土学」を設置していました。生徒たちに地元のことをもっと知ってもらおうと、毎年学校近隣の歴史や文化が残る地域を散策する地元探訪を実施していたんです。

高野街道をはじめ、観心寺や隣町の富田林寺内町の散策など、生徒たちが改めて地元を知る有意義な学びの場になっていたそうです。地域の方々も温かく見守り、千代田中学校区青少年健全育成会からは長年にわたって活躍の場を提供していただいたとか。

こういった地域との繋がりが、長野北高校の大きな魅力のひとつだったんですね。

最後まで輝き続けた生徒たち

閉校が決まってからも、長野北高校の生徒たちは素晴らしい活躍を見せてくれました。水泳部が2年連続でインターハイに出場したり、科学同好会が大阪府学生科学賞展で最優秀の大阪府知事賞を受賞したり。最後まで学校の誇りを胸に頑張る姿は、本当に立派でした。

特に最後の卒業生となった45期生の134名の皆さんは、後輩のいない3年間、少なくなっていく先生方、増えていく空き教室という寂しさの中で、それでも前向きに学校生活を送られました。しかもコロナ禍という厳しい状況の中で。

当時の校長先生が「こんな時だからこそ行事を盛り上げたいと生徒会役員に立候補したキミ」「少ない人数になりながらも最後まで部活動を続けたキミ」と45期生への感謝の言葉を述べられていたのが、とても印象的でした。

長野北高校が輩出した著名人

長野北高校からは、さまざまな分野で活躍する著名人が巣立っています。代表的な方々をご紹介しますね。

  • 長谷川義史さん – イラストレーター・絵本作家として全国的に有名です
  • 小野坂昌也さん – 声優として数多くのアニメ作品に出演されています
  • 西浦真帆さん – タレントとして活躍されました

卒業生の皆さんが、それぞれの道で頑張っている姿を見ると、長野北高校での経験が確実に生きているんだなと感じます。

35人学級という手厚さ

あまり知られていないかもしれませんが、長野北高校では1年生で35人学級編成を行っていました。大阪府立高校では40人学級が標準なので、これは生徒一人ひとりにじっくり向き合える環境だったということですね。

少人数だからこそできる丁寧な指導、先生との距離の近さ。こういった細やかな配慮が、長野北高校の温かい校風を作っていたのでしょう。

閉校までの経緯と長野高校への統合

2017年11月、大阪府教育委員会は府立学校条例の高等学校再編基準(3年連続定員割れ)に該当したとして、長野北高等学校の生徒募集を2019年度入学者選抜から停止することを決定しました。少子化や学区の撤廃、私学を含む授業料の無償化など、社会の変化のうねりは大きかったんです。

その機能は大阪府立長野高等学校に統合される形となり、2021年2月26日に最後の卒業式および閉校記念式典が執り行われました。そして同年3月31日、47年の歴史に幕を下ろしたのです。

閉校後は長野高校内に記念室が開設され、長野北高校の歴史や資料が大切に保管されています。卒業生の方々にとって、いつでも母校の思い出に触れられる場所があるのは、心の支えになるのではないでしょうか。

校章に込められた意味

長野北高校の校章は、とても美しいデザインでした。「北」を表現しつつ、石川の清流を思わせる真ん中の縦の線を有する六つの稜に、「高」の字を浮き上がらせている菊(河内長野市の市の花)を重ねたもの。

この校章を胸に、13,916人もの卒業生が社会へ巣立っていったんですね。今でも大切に保管している方も多いのではないでしょうか?

これからも続く絆

学校は閉校となりましたが、そこで過ごした時間や築いた人間関係は、決して消えることはありません。むしろ、母校がなくなったからこそ、同窓生同士の絆がより強くなることもあるのではないでしょうか。

河内長野市という地域で、「長北出身です」と言えば、それだけで話が弾む。そんな繋がりがこれからも続いていくことを、わたしは願っています。地域の一員として、長野北高校の歴史をこうして記録に残せたことを嬉しく思います。

卒業生の皆さん、そして長野北高校に関わったすべての方々。47年間、本当にお疲れさまでした。そして、ありがとうございました♪

「過去は変えられないが、未来は変えられる」
– デール・カーネギー

今日も地元を歩きながら、ふとこの言葉を思い出しました。長野北高校で過ごした日々は変えられないけれど、その経験を糧にして、これからの未来を作っていく。卒業生の皆さんの今後のご活躍を、心から応援しています◎

投稿時のリサーチ結果に基づいて記事を作成していますが、最新情報は公式サイトも必ずご確認ください

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