こんにちは!『ローカログ』新宿エリア担当ライターのたかしです。みなさんは新宿区の歴史について、どれくらいご存知でしょうか?毎日歩いている街並みにも、実は深い歴史が刻まれているんですよ。
今回は新宿区の歴史について、江戸時代の宿場町から現在の繁華街まで、その変遷をじっくりとお話ししていきたいと思います。街角に物語ありの精神で、新宿区に住む僕たちファミリー層にとって身近でありながら、意外と知らない歴史の魅力をお届けしますね♪
江戸時代:内藤新宿の誕生と宿場町としての発展
新宿区の歴史を語る上で、まず知っておきたいのが「内藤新宿」の存在です。現在の「新宿」という地名は、実はここから始まっているんですよ!
内藤氏との深い関わり
時は1590年、豊臣秀吉により後北条氏が滅ぼされ、徳川家康が江戸に入府する直前のお話です。三河時代から徳川家康の小姓として仕えていた内藤清成という武将が、家康の入府に先立って現在の新宿二丁目付近に陣を敷きました。後北条氏の残党に対する警備のためだったんですね。
この功績が認められ、清成は付近一帯を拝領して中屋敷を構えることになります。現在の新宿御苑がある場所ですね!面白いエピソードがあって、家康が「馬一息で駆け巡るだけの範囲を与える」と言ったところ、清成は馬に乗って榎の大木を中心に東は四谷、西は代々木、南は千駄ヶ谷、北は大久保まで駆け回ったんです。
その馬は最後に倒れて死んでしまったという、なんとも壮大なエピソードが残されています。当時の武士の気概を感じますよね?
宿場町「内藤新宿」の開設
江戸時代、甲州街道は江戸から甲府までの重要な街道でした。しかし第一の宿場である高井戸までは距離があり、旅人たちは困っていたんです。そこで1625年頃から現在の新宿二丁目近辺に人家ができ始め、住民の願いによって太宗寺門前に町屋ができました。
これを「内藤宿」と呼ぶようになったのですが、まだ正規の「宿場」ではありませんでした。甲州街道や青梅街道を利用する人馬の休憩所として使われていたんですね。
1698年、内藤家の中屋敷の一部を利用して正式な宿場が開設され、「内藤新宿」と呼ばれるようになりました。これが現在の「新宿」という地名の起源なんです!
宿場開設を願い出たのは、浅草安倍川町の名主だった喜兵衛という人物でした。彼は同志4人とともに5,600両という大金を上納して開設を実現させたんです。その後高松喜六と名乗り、高松家は代々新宿の名主を務めることになります。
明治時代から戦前:鉄道開通による大転換
明治維新とともに、新宿の街並みは大きく変わり始めます。武家地に住む人がいなくなって荒廃し始めた新宿でしたが、新たな歩みを始めることになるんです。
新宿御苑の誕生と鉄道駅の開設
内藤新宿の広大な敷地は、明治政府によって買い上げられました。そして海外から持ち込まれた動植物の適否を試験する「内藤新宿試験場」となり、1879年には宮内省の所轄となって「新宿植物御苑」と改称されます。これが現在の新宿御苑の始まりなんですね!
そして1885年、新宿の歴史を大きく変える出来事が起こります。日本鉄道品川線(後の山手線)が開通し、宿場の西はずれ角筈に新宿駅が設置されたんです。
開業当初は田畑の広がる東京郊外の田舎の駅で、1日の利用者数はわずか50人ほどでした。今の賑わいからは想像できませんよね♪
ターミナル駅としての発展
続いて甲武鉄道(現在のJR中央線)、東京市街鉄道が新宿駅に乗り入れ、1915年には京王電気軌道(現在の京王線)も乗り入れるようになりました。こうして新宿駅はターミナル駅としての姿を見せ始めます。
特に大きな変化をもたらしたのが1923年の関東大震災でした。武蔵野台地上にある新宿は表層地盤が非常に強く、銀座や浅草などの下町に比べて被害が軽微だったんです。震災後に下町から移り住んで人口が激増した西部郊外の人々にとって、中央線は都心に乗り換えなしで行ける唯一の鉄道でした。
このため私鉄各線からの乗り換え需要で新宿に交通が集中するようになり、戦前期には新宿駅東口が都内有数の一大繁華街へと発展していきます。1933年には新宿三丁目交差点に伊勢丹が開業し、現在の新宿の基盤が築かれていったんですね。
昭和時代:三区統合による新宿区の誕生
現在の新宿区が形成されるまでには、複雑な行政区画の変遷がありました。ここでは新宿区がどのようにして生まれたのかを詳しく見ていきましょう。
戦前の行政区画
明治11年、東京府15区のうちの区として四谷区と牛込区が誕生しました。一方、現在の新宿区西部にあたる地域は、まだ豊多摩郡の中で以下の4つの町に分かれていました:
- 淀橋町
- 大久保町
- 戸塚町
- 落合町
市街化が進むにつれ、この4町の人口は大正9年と比較して昭和5年には62%の伸びを示すようになります。市部と郡部の行政格差が目立つようになったため、市部併合運動が起こりました。
昭和7年10月、前記4町が併合して「淀橋区」が誕生します。このころになると新宿駅周辺は百貨店、映画館、劇場、カフェーなどがひしめく一大繁華街へと変貌を遂げていました。明治以降、山の手の繁華街として有名だった四谷や神楽坂に取って替わる存在になっていったんですね。
新宿区の発足
そして昭和22年3月15日、旧四谷・牛込・淀橋の3区が統合して「新宿区」が発足しました!区の名前の決定には時間を要したそうですが、「内藤新宿」という歴史的な由来があったこと、新宿御苑や新宿駅が全国的にも有名であり普遍的であることを踏まえて採用されたんです。
現在の新宿区がエリアごとにさまざまな表情を持っているのも、この3つの区の合併が大きく影響していると言えるでしょう。四谷の歴史ある街並み、牛込の落ち着いた住宅地、そして淀橋エリアの商業地区という具合に、それぞれ異なる特色を持ち続けています。
戦後復興から現代へ:アジア随一の繁華街への発展
戦後の新宿は、日本の高度経済成長とともに劇的な発展を遂げていきます。現在のような姿になるまでの歴史を振り返ってみましょう。
戦後復興期の新宿
終戦直後の新宿駅前には、東京の他のターミナル駅と同様に闇市が形成されました。これが現在の思い出横丁や新宿ゴールデン街の原型となったんです。戦後の混乱期を物語る貴重な歴史の証人ですね。
戦後の高度成長期を中心に、東京の郊外は一貫して西側へ拡大していきました。郊外住宅地に住む人々が千代田区の丸の内や大手町、中央区の日本橋などの都心部へ通勤・通学するための乗り換え駅として、新宿の役割はますます重要になっていきます。
副都心としての地位確立
大手私鉄資本のターミナルデパートや駅ビルが次々と開業し、新宿は鉄道交通の拠点として都心部の繁華街を凌駕する規模の商業地として発展していくことになりました。これは渋谷や池袋といった他の副都心も同様の発展を遂げていますが、新宿はその中でも特に大規模な発展を遂げています。
現在の新宿は、昼間人口が約40万人にも達する巨大な商業・業務地区となっています。世界有数の乗降客数を誇る新宿駅を中心に、東口の商業地区、西口の高層ビル群、南口の新たな開発エリアなど、多様な顔を持つ街へと発展しました。
新宿区歴史博物館:地域の記憶を守る場所
新宿区の歴史について更に詳しく知りたい方におすすめなのが、新宿歴史博物館です。開館時間は9時30分から17時30分(入館は17時まで)で、第2・4月曜日(祝休日の場合は翌平日)と年末年始が休館日となっています。
この博物館では新宿区の古代から現代までの歴史を、貴重な資料や展示品とともに学ぶことができるんです。お子さんと一緒に新宿区の歴史を体感できる素晴らしい施設ですよ♪
現代の新宿区:多様性と活力に満ちた街
現在の新宿区は、その豊かな歴史を背景に、さまざまな魅力を持つ街として発展し続けています。江戸時代の宿場町から始まり、明治の鉄道開通、昭和の三区統合、戦後の復興と発展を経て、今のような多面的な顔を持つようになりました。
歌舞伎町の賑やかな夜の街、新宿御苑の緑豊かな自然、高層ビル群の近代的な景観、神楽坂の情緒ある街並み。これらすべてが新宿区の歴史の積み重ねによって形作られているんですね。
僕たち新宿区に住む家族にとって、この街の歴史を知ることは、より深く地域への愛着を感じることにつながります。子どもたちにも、自分たちの住む街がどのような歴史を歩んできたのかを伝えていきたいものですね!
「歴史は過去と現在との間の対話である」- E.H.カー
新宿区の街を歩くたびに、江戸時代の宿場町の面影を探したり、明治の鉄道開通の恩恵を感じたり、戦後復興の力強さを思い出したりしてみてください。きっと普段の風景が違って見えてくるはずです。街角に刻まれた物語を大切にしながら、これからも新宿区の新たな歴史を一緒に作っていきましょう!


















