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目黒区の昔話で心がぽかぽか!江戸時代から語り継がれる物語

こんにちは!『ローカログ』目黒エリア担当ライターのあきこです♪ 今日は目黒区に伝わる素敵な昔話についてお話ししたいと思います。みなさんは地元に古くから語り継がれている物語があることをご存知でしょうか?

わたしも娘と一緒に目黒区に住んでいて、毎日が発見の連続なのですが、この街には江戸時代から現代まで大切に受け継がれてきた心温まる昔話がたくさんあるんです。今回は特に印象深い物語をいくつかご紹介しながら、みなさんと一緒に目黒区の昔話の世界を楽しく探訪してみたいと思います!

目次

みんな大好き「目黒のさんま」の物語

目黒区の昔話といえば、やっぱり一番有名なのが「目黒のさんま」ですよね!みなさんも一度は耳にしたことがあるのではないでしょうか。この落語の噺は、江戸時代の殿さまが鷹狩りの帰りに目黒で食べたさんまのお味に感動してしまうという、なんともほっこりするお話なんです。

物語の舞台となった目黒は、実は江戸時代に将軍家の鷹狩り場として使われていた特別な場所でした。現在の目黒区内には「鷹番」という地名が残っているのも、その名残なんですって。将軍さまたちが狩りを楽しんだ後、目黒不動尊にお参りして、近くの茶屋で一休み。そこで庶民の暮らしに触れる機会があったというわけです。

特に有名なのが「爺々が茶屋」というお店。百姓の彦四郎さんが開いた茶屋で、将軍家光が彦四郎さんの人柄を愛して「爺、爺」と呼びかけたことから、この愛称で親しまれるようになったそうです。歌川広重の「名所江戸百選」にも描かれているほど、当時から有名だったんですね。

そんな茶屋で食べるさんまは、きっと格別だったに違いありません。庶民の素朴な調理法で焼かれたさんまの美味しさに、身分の高い殿さまも思わず「さんまは目黒に限る!」と言ってしまったというのも、なんだか微笑ましいエピソードです♪

美しく切ない「鷺草伝説」の物語

目黒区には、もうひとつ美しい昔話があります。それが「鷺草伝説」。この物語は隣の世田谷区でも語り継がれていますが、実は目黒区内でも古くから知られているお話なんです。

昔、世田谷城主の吉良頼康が狩りに出た際、短冊をつけた一羽の白鷺を射止めました。短冊に書かれた美しい和歌に心を奪われた頼康は、詠み人である常盤姫を側室に迎えることになります。二人は白鷺を飼いながら幸せに暮らしていましたが、やがて他の側室たちの嫉妬を買った常盤姫は、罠にはめられて命を落としてしまうという、なんとも切ない物語です。

常盤姫は最期に父への助けを求める手紙を白鷺の足に結んで飛ばしましたが、雨に濡れた手紙の重みで白鷺は力尽き、奥沢城近くで息絶えてしまいました。翌年の夏、白鷺を埋めた場所に美しい花が咲き、それが白鷺の舞い立つ姿にそっくりだったことから「鷺草」と名付けられたというお話です。

目黒区内でも、湿地があった大正時代の終わりころまで、あちらこちらで鷺草を見ることができたそうです。現在でも世田谷区の区の花として親しまれているこの可憐な花を見かけると、常盤姫の悲しい物語を思い出してしまいますね。

江戸の一大行楽地として栄えた目黒不動尊

目黒区の昔話を語る上で欠かせないのが、目黒不動尊(正式には泰叡山護國院瀧泉寺)の存在です。この由緒あるお寺は、江戸時代の一大行楽地として多くの人々に愛されていた場所なんです。

目黒駅から目黒川に下る行人坂から目黒不動尊入口までは、料理屋や土産物屋がぎっしり並んでいたそうで、名物は目黒飴と呼ばれた飴でした。当時の賑わいは「江戸名所図会」などにも描かれているほどで、まさに江戸のリゾート地のような存在だったんですね。

目黒不動尊は富くじ(今の宝くじ)でも有名で、湯島天神、谷中の感応寺(現在の天王寺)とともに「江戸の三富」と称されていました。旅行が庶民にとって縁遠いものであった時代にあって、気軽に行ける目黒界隈は本当に特別な場所だったのでしょう。

境内には「独鈷(とっこ)の滝」という冷泉があり、開創者である慈覚大師が宝具である独鈷を地面に突き立てたところ、湧き出したという言い伝えも残っています。この滝は恋愛成就や厄除けなどのご利益があるとされていて、今でも多くの人が訪れているんですよ♪

甘藷先生と呼ばれた青木昆陽の物語

目黒区には、江戸時代に活躍した学者、青木昆陽にまつわる昔話も伝わっています。青木昆陽は「甘藷先生」の愛称で親しまれた人物で、サツマイモの栽培を日本に広めた功労者として知られています。

昆陽は儒学・蘭学の先生として世のために尽くし、特にサツマイモの栽培技術を普及させることで、天明の飢饉を乗り越える大きな助けとなりました。晩年は目黒の里を愛し、この地で過ごしたとも言われています。

当時の目黒は農業が盛んな地域で、竹林があちこちにあり、タケノコも重要な農産物でした。目黒式タケノコ栽培法という独特の栽培方法も発達していたんですって。昆陽のような学者が目黒の自然豊かな環境を愛したのも、とてもよく分かる気がします。

権八と吉原の三浦屋の悲恋物語

目黒区に伝わる昔話の中には、ちょっと大人な恋愛物語もあります。それが権八と吉原の三浦屋の悲恋の話。権八は実在の人物で、その波乱に満ちた人生は多くの人々の心を捉えました。

権八のなきがらは、目黒の東昌寺(瀧泉寺―目黒区下目黒三丁目―の付近にあった寺で今は無い)の僧が引き取って葬ったと言われています。この権八には、吉原の三浦屋との切ない恋の物語があり、江戸の人々の間で語り継がれてきました。

現在は存在しない東昌寺ですが、かつて目黒の地に確かに存在し、権八という一人の男性の人生の最期を見守った場所として、地域の記憶に刻まれているのです。

現代に息づく目黒の物語

こうして目黒区の昔話を振り返ってみると、どの物語にも共通して感じられるのが、人々の温かい心と、この土地への深い愛情です。将軍さまから庶民まで、身分を超えて多くの人々に愛された目黒という場所の魅力が、これらの昔話からも伝わってきますよね。

「目黒のさんま」では庶民の素朴な料理の美味しさが、「鷺草伝説」では純粋な愛の美しさが、目黒不動尊の物語では信仰心の深さが、それぞれ描かれています。そして甘藷先生の話からは、学問への情熱と人々への思いやりが感じられます。

現在の目黒区は都市化が進んでいますが、こうした昔話が今も語り継がれているということは、きっとこの街の根底に流れる温かい心が変わらず受け継がれているからなのでしょう。わたしも娘と一緒に目黒区に住んでいて、日々の生活の中でそんな地域の温かさを感じることがよくあります。

昔話が教えてくれること

目黒区の昔話を通して感じるのは、どの時代も人々の心の奥底にある願いや想いは変わらないということです。美味しいものを食べたときの素直な喜び、愛する人への深い想い、困った人を助けたいという優しさ、そして故郷への愛着。

これらの普遍的な感情が、昔話という形で現代のわたしたちにも伝わってくるのって、本当に素敵なことだと思いませんか?毎日忙しく過ごしていると、つい忘れがちになってしまう大切なことを、昔話が思い出させてくれるような気がします。

みなさんも目黒区を歩いていて、目黒不動尊や行人坂、鷹番などの地名を見かけたときは、ぜひこれらの昔話を思い出してみてください。きっと今まで見慣れた風景が、少し違って見えるかもしれませんよ♪

次世代に伝えたい目黒区の宝物

最後になりますが、わたしは娘にもこれらの昔話をしっかりと伝えていきたいと思っています。スマートフォンやインターネットが当たり前の現代だからこそ、口承で伝えられてきた昔話の価値は、むしろ高まっているのかもしれません。

目黒区の昔話は単なる娯楽ではなく、この土地の歴史や文化、そして人々の心を知るための貴重な資料でもあります。これからも地域の皆さんと一緒に、こうした素晴らしい物語を大切に守り、次の世代へと受け継いでいけたらいいなと思います。

目黒区には他にもまだまだ知られていない昔話や伝説があるかもしれません。みなさんもぜひ地域の図書館や歴史資料館を訪れて、新しい発見を楽しんでみてくださいね!きっと目黒区への愛着がさらに深まることでしょう♪

「過去を知らない者は未来を語る資格がない」
エドマンド・バーク

昔話を通して過去を知ることで、わたしたちはより豊かな未来を描けるのかもしれませんね。今日も新しい発見に心がワクワクしています!

投稿時のリサーチ結果に基づいて記事を作成していますが、最新情報は公式サイトも必ずご確認ください

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