『ローカログ』のYoutubeチャンネルができました!チャンネル登録お願いします

目黒区の橋を歩こう♪太鼓橋から大橋まで魅力発見

こんにちは!『ローカログ』目黒エリア担当のライター・あきこです♪みなさん、今日もお元気ですか?

目黒区に住んでいると、日々の暮らしの中で何気なく渡っている橋が、実はたくさんの歴史と物語を抱えていることに気がつくんです。毎日の散歩コースで見かける橋や、通勤途中に渡る橋にも、知らなかった秘密がいっぱい!今回は、そんな目黒区の橋の魅力について、地元在住のわたしが詳しくご紹介していきますね。

目次

目黒川沿いに広がる橋の世界

目黒区の橋といえば、やっぱり目黒川に架かる橋たちが主役!この川沿いを歩いていると、本当にたくさんの橋に出会えるんです。上流から下流まで順番に見ていくと、それぞれに個性があって面白いんですよ。

まず上流側から見ていくと、東仲橋は歩行者専用の橋として地元の人たちに親しまれています。そして渋谷区との境界付近にある大橋は、国道246号と首都高速3号線が通る重要な交通の要所。ここは玉川通りとしても知られていて、目黒区を通る唯一の国道なんです。

歴史ある名橋たち

目黒川を下流に向かって歩いていると、歴史を感じさせる橋にたくさん出会えます。常盤橋、万代橋、氷川橋、東山橋と続いて、環状六号線が通る目黒橋に到着です。この目黒橋は1964年に完成した橋で、都道317号線の重要な一部なんですよ。

さらに下流には中の橋、南部橋、柳橋、千歳橋と続いていきます。それぞれの橋には地域の人たちの生活が息づいていて、朝の通勤時間や夕方の帰宅時間には多くの人が行き交う光景が見られるんです。

江戸時代から愛され続ける太鼓橋

目黒区の橋で特に有名なのが、太鼓橋です!この橋は目黒川に架かる橋の中でも特別な存在で、行人坂の西端に位置しています。JR山手線目黒駅から南西へ約330mほどの場所にあって、アクセスも抜群なんです。

太鼓橋の歴史はとても古くて、なんと1769年に石橋として完成したんです!江戸時代の人たちも、この橋を渡って目黒不動へお参りに行っていたんですね。ただ、1920年の豪雨で一度崩壊してしまい、1921年に木橋として再建されました。その後1932年に鉄橋に架け替えられて、1991年の目黒川改修工事で現在の姿になったんです。

行人坂との深いつながり

太鼓橋を語るときに欠かせないのが、行人坂との関係です。滝泉寺(目黒不動)の方角から目黒川に架かる太鼓橋を渡って、長さ約140mの急坂である行人坂を登っていくと、右手に明王院、大円寺と続いていくんです。

行人坂という名前の由来も興味深くて、寛永年間(1624-1644年)の頃、出羽三山の一つである湯殿山の大海法印という行人(行者)がこの地で修行を始めて、次第に多くの行人が集まり住むようになったことから名付けられたそうです。江戸時代の人たちの信仰心の深さが感じられますよね。

現代に生きる目黒新橋

もう一つ注目したいのが目黒新橋です。この橋は目黒通り(東京都道312号白金台町等々力線)に架かっていて、1933年に建設されたコンクリートアーチ橋なんです。全長25.7m、幅22.0mの立派な橋で、現在も多くの人や車が利用している重要な交通インフラです。

目黒新橋には面白い歴史があって、江戸時代中期まで江戸の市中から目黒川の西に向かう道は太鼓橋につながる行人坂が主要路だったんですが、急勾配で不便だったんです。そこで地元の名主である菅沼権之助が新たな道を開いて、その坂を新坂、道筋の目黒川に架かる橋を新橋と名付けました。

権之助坂との関係

悲しいことに権之助は幕府により刑死してしまったのですが、一説には幕府に無断で道を拓いたことが罪に問われたとも伝えられています。でも、地元の人たちは彼の功績を忘れず、新坂を「権之助坂」、新橋を「目黒新橋」と呼ぶようになったんです。

現在でも権之助坂バス停があって、目黒駅と三軒茶屋や等々力操車所、弦巻営業所など目黒区・世田谷区の各地を結ぶ多数の東急バスがこの橋を渡っているんですよ。

交通の要所としての大橋

目黒区内で「大橋」という地名に住んでいる方も多いと思いますが、この地名の由来も橋にあるんです。元々は目黒川に架かる街道上の橋の名前だったのが、玉川線の停留所名となって、早くからこの地の呼称として親しまれるようになったんです。

正式な町名になったのは昭和44年1月で、区内の住居表示のうちでは最も遅かったそう。新町割案をめぐって住民の意向の調整が難航して、「青葉台四丁目・六丁目」、「南駒場」、「大橋」案についての住民投票なども行われたんです。

軍隊の門前町だった過去

大橋エリアには興味深い歴史もあって、明治の中頃から終戦まで、大橋周辺には軍の施設が集中していました。そのため沿道には軍服店、軍隊用雑貨商、馬糧商、入隊除隊の記念品店などが軒を連ねて、さながら軍隊の「門前町」のような雰囲気だったそうです。

オリンピック道路と鴻巣橋

山手通りの青葉台一丁目交差点から世田谷区下馬方面へ通じる道はオリンピック道路と呼ばれているんですが、みなさんご存知でしたか?昭和15年開催予定だった東京オリンピックに備えて、渋谷から当時競技場建設予定地だった現駒沢公園方面へ通じる道として、昭和12年頃に工事されたからなんです。

この道の東山一丁目22番から25番にかけて、道の両側はかなり高い切り通しになっていて、その上に鴻巣橋が架かっています。戦災前まで、橋の北側近くに松やヒノキの林に囲まれたお稲荷様の小祠があったそうです。

コウノトリの巣から名付けられた橋

鴻巣橋の名前の由来がとても素敵なんです!その社前の松の巨木に、毎年コウノトリが飛来して巣を作ったため、鴻之巣松と呼ばれるようになって、橋の名前もこれに由来するんだそうです。自然と人の暮らしが密接に関わっていた時代の名残を感じられますよね。

桜の季節に美しい橋たち

目黒川といえば桜の名所としても有名ですが、橋から見る桜の美しさは格別です!特に桜の季節には、目黒川沿いの橋という橋が絶好の撮影スポットになるんです。桜橋なんて名前の橋もあって、その名の通り桜の季節には多くの人で賑わいます。

川面に映る桜と橋のコラボレーションは、まさにインスタ映え間違いなし♪地元に住んでいるからこそ楽しめる、季節ごとの橋の表情の変化を感じられるのも嬉しいポイントです。

鉄道橋も見どころ満載

目黒川には一般道の橋だけでなく、鉄道橋もたくさんあるんです。東急目黒川橋梁は東横線、目黒線、池上線と複数路線分があって、電車好きの方にはたまらないスポットかも。

JR上目黒川橋梁は山手線が通る橋で、電車の音と川のせせらぎが混じり合う独特の雰囲気があります。日常の中にある小さな発見って、こういうところにあるんですよね。

地域の人々に愛される橋たち

目黒区の橋を見ていて感じるのは、どの橋も地域の人たちの生活に深く根ざしているということです。朝の通勤・通学時間、お昼の散歩タイム、夕方の帰宅ラッシュ…一日を通じて多くの人が利用していて、まさに地域のライフラインなんです。

なかめ公園橋のような歩行者専用の橋は、お散歩やジョギングを楽しむ人たちの憩いの場になっています。ふれあい橋やふれあいK字橋なんて、名前からして地域の人たちの交流を大切にする気持ちが伝わってきますよね。

橋から見える目黒区の未来

これらの橋たちは、ただの交通インフラではなく、目黒区の歴史と文化、そして人々の暮らしを結ぶ大切な存在です。江戸時代から続く太鼓橋の歴史、戦前戦後の激動を見続けた目黒新橋、現代の交通需要に応える数々の橋…それぞれが時代を映す鏡のような役割を果たしているんです。

みなさんも今度目黒区の橋を渡るときは、ちょっと立ち止まって橋の上から景色を眺めてみてください。きっと新しい発見があるはずです!

「架け橋となることで、人と人、心と心をつなぐことができる」- マザー・テレサ

橋は物理的に川の両岸を結ぶだけでなく、人々の心も結んでくれる存在なのかもしれませんね。今日も目黒区の橋たちが、たくさんの出会いと発見をもたらしてくれることを願っています♪

投稿時のリサーチ結果に基づいて記事を作成していますが、最新情報は公式サイトも必ずご確認ください

注目記事

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
目次